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なるが先生スタイル

学校の先生ってどんな仕事してるのか伝えられたらいいなって思います。

教育の目的に対する考え方の差異

 私の学校では、授業参観が終わった後にアンケートをとるのですが、「授業はもっとこう変えた方がいい。」みたいな意見をいただくことがあります。的を得た意見・・・というか自分がもってなかった視点からの意見はありがたいのですが、「ペースを上げるべき。」とか「受験がある子もいるので問題演習を増やすべき。」とか来ると、心の中で顔面グーパンチしてます。受験学力が求められているため仕方ないとも思いますが・・・。

 

教育の目的

 教育の目的って何ですか?-「たくさんの問題を解けること。」「頭がよくなること。」ではありません。

 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第1条 (教育の目的) :文部科学省

上記は教育基本法の第1条です。構造としては、

A:人格の完成をめざし

B:平和的な国家及び社会の形成者として、心身ともに健康な国民の育成を期すること。

となっていました。AとBは並列ではありません。

 教育の目的に、「たくさんの問題が解けること!」「頭がよくなること。」とは記載されていないのです。「人格の完成」とは次のようになります。

 「人格の完成」: 個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること(「教育基本法制定の要旨」昭和22年文部省訓令)。
  真、善、美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能力などの発展完成。人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない(「教育基本法の解説」)。 

第1条 (教育の目的) :文部科学省

 「真・善・美の~」が各教科について関係のある記述ではないでしょうか。

人格の完成を達成するために(A)、真・善・美に関する能力の発展完成(B)を行います。教科指導は人格の完成を目指して行うのですから、各教科は人格の完成のための道具と換言できそうです。

 だから、勉強ができることをゴールにしてはいけません。算数がいつでも100点であれば、人格の完成がされていると言えるわけではありません。算数の能力だけではなく、国語で文章を読んだり、理科で考察したり、道徳で自分はどうするべきか考えたりと全てがあってこその人格完成であると考えます。

 つまり、算数であれば、問題演習の量を増やすこと、授業内容の詰め込みを行うためにペースを上げることが大切ではないのです。

 

まとめ:教育の目的と学習指導について

  教育の目的は人格の完成であり、詰め込み型(教授型)で問題演習を繰り返す学習指導が大切ではありません。教授型の授業を行う人もまだいるようです。

 では、どのような学習指導であればいいのかと問われると、今流行りのアクティブラーニング、昔は問題解決学習、他にも学びあいや協働学習などが方法として挙げられると考えます。

 講義形式の教授型から脱却することで人格の完成を目指した学習指導を行う必要があるでしょう。そのあたりも今後書く予定です!

 また、私は今回のように考えたのですが、あくまで1つの意見として聞いていただければと思います。「いや、他にこういうのもあるよ!」とか「これは違うと思うよ。」なんてことも教えていただけたら嬉しいです!

 

 とりあえず、お母さんたち、算数では問題演習することだけが全てではありません!